Dragon World

ま、それなりにやっているつもり

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人の夢は儚いとずっと前から思ってはいたけれど、

30歳にして人を憂うと優しさになると気付いた。


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大学生の時、図書館でなんとなく見た「七人の侍」
本当に衝撃を受けました。
ま、世界の誰もが知る名作中の名作ですね。


その中で島田勘兵衛を演じる志村喬が弓を引くシーンがあるのです。

img_939247_44112768_3.jpg

















この人には弓道の経験があるのじゃないかと思わせるくらい綺麗なのです。
暴れん坊将軍の松平健のあれと比べるのが失礼なくらいに綺麗。
しかし、将軍様は暴れん坊の割に弓には臆病なのがビンビン伝わるくらい下手ですね・・・。
それも時代は戦国時代なので今と違い、実戦的な引き方をしていたのです。
時代考証もばっちり、今の弓道とは違うけどこれは別の機会にしとこうかな。
ま、これをきっかけに志村喬という役者さんを知りました。
昭和の名優なのに知らなかったのが恥ずかしいくらいなのかな・・・。

んで、25歳くらいの時に「生きる」を見ました。
「七人の侍」の前作になるそうです。
あんまり考えずに見ていたけど単純にいい映画だなって思っていたのです。


僕はここ数年人間が演じる映画が見られなくなってしまいました。
僕の精神的な問題がほとんどなのだけども、
役者が演技しているのがバレバレで見る気が失せてしまうのです。
だったらアニメーションの方がいいとそっちを少し見る程度。
特に最近の邦画が見られないのね。
同じ役者が同じような演技でひどい。
さらに脚本もひどいね。
たまに原作が良くても悪いアレンジしたりしているしさ。


さてさて、前置はここまで。
BSで「生きる」をやってたので録画していました。
いい映画だからいつか見ようと思っていたのです。
お、今日は見られそうだという感じだったので見ました。

ガンという名の死の宣告をされた空虚に仕事をしている定年前の役所の課長。
この人の死への葛藤と生への執着へのヒント。
とても他人事とは思えないくらいなのね。

あと、役人への風刺が効きまくっている。
ここの批判は今も昔も変わらないんだろうね。

見て損はしないです。
あと、公務員は絶対見て欲しい映画です。






僕の春からの仕事は県の職員です。
さてさて僕は朱に交わるのかどうなるのかね。

以前から気になっていたカフェに行ってきました。
隠れ家的というやつらしいとこですがとんでもないとこにあるの。
鹿児島で東郷町って言ったらそれだけで山の中と分かるけど、そのさらに山の中。
ほんとにこんなとこにあるのかいなと思いながら進む山道。
で、やっとこさたどり着いたのは古い民家。
とりあえず隠れすぎ!
商売する気ないでしょと言いたいくらいの立地。

そしてそこは世間で言う古民家ではない。
ただの古い家。
80歳以上のばあちゃんが出てきそうな山の中の家。
築70年くらいらしい。
昔の農家の家って感じだ。
僕の住んでた昔の家やばあちゃんの家と同じ感じ。
すごい親近感。

手を入れなければアッという間に朽ちてしまいそうなとこを頑張っている。
そんな感じがとてもよかった。
良い材木も使っていないし屋根は年季の入ったセメント瓦。
雨漏りとかすごそうだし、店は何より寒い。
かなり強力なストーブを使っているけど全然暖まらない。
だってすきま風入りまくり、換気の必要ないし。
外とは板1枚で断熱材なんてもんはない。
隙間にはワラが突っ込んである。
いいね。懐かしいよこの感じ。
昔の家はこうだったよ・・・。
内装にはそれなりのこだわりと手作り感。
いい。

でも、寒かった。
でもそれはあの家では仕方ない。

マスターが面白い人で料理もこだわって作っている。
ランチで1300~1500円は田舎では高いかもしれないけど納得の味だった。
あれなら文句は言わない。
そしてあんなとこなのにお客さんも多い。
僕以外みんな女性。
確かに女性受けするとは思う。
僕は家自体や置いてある農機具に心惹かれてしまった。
唐箕(とうみ)は優れた農機具だよねー。

あと何気ない庭。
あれもいい。

今度は暖かい時期に行きたい。
夏だったら涼しいはずだし。
そうめん流しに行ってここでケーキとお茶がいいかもね。

名前は「真」
不便なとこだけど足を延ばしていく価値はあると思う。


僕の通っていた小学校は全校生徒200人ちょっと。
1クラス35人いるかいないかくらいの規模だった。
だから当然1学年1クラス。
たまに40人超えて2クラスになるということがあったくらい。
僕らの時はずっと1クラスだった。
多くが保育園から上がってそのまま9年間同じクラスということになる。
幼稚園の人ももちろんいたけどそこはこだわるとこじゃない。

男女比2:1というアンバランスな世界。
僕にとっては世の中女が少ないから結婚するのは大変だなぁと低学年の頃思っていた。
そして世の中の男女比率が1:1と知り安心したのは懐かしい記憶だ。
皆、仲が良かった。
人間特有の友達グループなんかもあったりしたけど楽しい世界だった。
少なくとも3年生までは。

僕の記憶が確かなら4年生の頃からおかしくなっていった。
最近ではあるか知らないけれど髪の長い人はシラミの検査があったのだ。
それにひっかかったのが彼女である。
運が悪いし、ま、ちょっと薬を使えばいいだけの話。
今ならそう思うが子供はそうはいかない。

子供は残酷である。
そこからいじめが始まった。

5年生のときには担任になった先生が僕らにこう言い放った。
「お前たちは最低だ!」
と・・・。
かなり熱血な先生で色々とやってくれたけどいじめは止まらなかった。
エスカレートを続けた。
かなり陰湿なことがあった。
言葉、無視、その他諸々。

6年生になったら担任が教師失格の人で学級崩壊になった。
女子が授業のボイコットをして音楽室に立てこもる。
男子は教室で自習。
そして教頭が来て僕らを監視していた。
担任は男であったが弱い人だった。
「先生は悲しい!」
と言って生徒の前で泣きだす大の大人。
ボロボロであった。

その中で彼女のいじめは続いた。
僕は傍観者だった。
何もしないしできない。

僕はずっとクラスで中立だった。
どこのグループにも属さない。
友達がいない訳ではないが深入りするタイプではないから。
それは今でも変わらない。
自分で一目置かれるとまでは言わないがそれに近い方であった。
今では皆から意外と思われるがいじめの中心の友人とも仲が良かった。
だから僕が動けば助けられる可能性があったのだ。
だけど何もできなかったし、しなかった。
ただ傍観しているだけ。
これじゃいけないと思いながらも・・・。

いじめは中学に進学しても続いた。




彼女は早くに結婚した。
最近話す機会があったので聞いてみた。
「早く幸せになりたかったから・・・」
返ってきた言葉はそれであった。
その通りである。

僕はずっとあの時のことを謝ろうと思っていた。
だけど彼女の笑顔を見ているとそんなこと言えない。
過去を思い出させる必要は無い。
今言うのは早すぎる。
彼女にじゃない僕にとってだ。
でも、機会を見つけてちゃんと謝ろうと思っている。
もうちょっと待って下さい。

何もせずに本当にごめんなさい。
もうはっきりとは覚えていないけれど中学1年の夏から秋の間くらい。
いじめというやつを経験しました。
数人からの嫌がらせってやつでクラス全体ではないです。
どれくらいの期間だったのかな、2~3ヶ月くらいかな。
まぁ、なんかちまちました嫌がらせが続きました。

僕はおとなしいし目立つタイプではない。
運動は苦手、勉強はそこそこできる。
ただ言葉がきつい、目つきが悪いのは認めます。
今でも根本はそうですがその当時は短気ですぐカッとなったりしました。
それがおもしろかったのかな・・・。
でも標的にされるようなものじゃないのになと思っていました。

だけどまぁ、あんまり覚えていないんだな。
強烈だったのが教科書に給食のおかずのレバーが挟んであったこと。
これはよく覚えている。
昼休みが終わって5時間目の授業が始まる。
なんか教科書がおかしいと気付く。
膨らんだ部分を見てみるとレバーが挟んであった。
ご丁寧にニラまで一緒に。

休み時間にレバーでにじんだページをゴミ箱に破り捨てる僕。
それを見て笑ってたんだろうね。
準備がいいよ。
ちゃんと給食を残してたんだからさ。

誰がやっているかは分かっていたので仕返ししてやろうかと思ってたのです。
だけどしませんでした。
どうせ倍になって返ってくるのだから。
主犯格の奴を含めそのメンバーを心底嫌いになりました。
憎みました。
なんか俺があんたらにしたかいと。
なーんにもしてないだろうにとさ。

でも何度かたてついてちょっとした騒ぎになったのです。
そこで担任の先生に技術室に呼ばれて注意を受けたのです。
「お前は感情を抑えることを覚えろ」
そんな感じのことを言われました。
もしかしたら誰か先生に言ってくれたのかもしれないけどそこら辺は不明。
たぶん僕は問題をおこす生徒になったのでしょう。
ただ、僕はよくありがちなキレやすい人間ということになっていました。
ま、そこは否めないかな。

そして気がつけばいじめは終わっていました。
そこまで追いつめられること無くすんだのはよかったと思っています。
興味が無くなったのか次の標的を見つけたのでしょう。
そこから先の記憶は曖昧でよく覚えていないのね。

中学時代、いきったというか調子に乗っている人間のグループ。
面白いものでその中でもいじめはありました。
不思議なことに定期的にターゲットが変わっていくのです。
結局は誰でもよかったのです。
僕をいじめていた奴も最終的にはいじめられていました。
いじめは連鎖していくのです。
終わることなくね。

恨んでいたそいつの立場が変わった姿。
優越感は感じないけど哀れだと強く感じた。
結局は自分に返ってくるのだとおもう。
猿山のボス争いで負けた奴が下僕になるようなものなのです。




動物の世界では順位付けというものがあります。
うちの牛は6頭の群れを作らせて飼育します。
餌の時間になると部屋をぐるぐる回っていい位置をボスが押さえて他はそれの近くへ。
気の弱い奴はその中に入っていけずに餌が食べられないこともある。

そいつを別の群れに入れると強くなるのですよ。
他を押しのけて餌を食べる。
そして別の弱い牛が食べられなくなる。
そんなもんなんです。
辛い思いしても環境が変われば強気になるのです。

動物は本能的に優位性を求めてしまう。
強い奴が残らないと種の保存はできないのだからね。
だからいじめというものがあるのです。

ただ人間には知性と理性がある。
それがあってもいじめはなくならない。
特に子供にそれを求めるのは酷かもしれない。
だって子供は子供なのだから。

大人だって会社や組織に入るとそういうものがある。
大の大人でもそうだから社会を知らない子供では仕方のないことなのかもしれない。

とにかく親や教師が気付いて守ってやるしかないのです。
友人もそうあるべきだと思うけどできない場合が多い。

限界までは強くいるべきだと思う。
だけどもう無理だと思えば逃げたらいい。
学校に行かなくてもいい。
中学くらいならどうにか卒業させてもらえる。
不登校いいじゃないのさ。
親も本気ならば転校だってできる。
高校辞めて大検で大学に行く方法もある。
やれることはあるからと言ってあげたい。
やっているかはどうか分からないけどこれこそ学校で教えることだと思う。
その日は疲れていたけど楽しい日だった。
家に帰り、風呂に入る。

ゆっくりしようと思うとちょっと気になるメールがあった。
あと、あの人のタバコ。

・・・、何か引っかかる。
嫌な胸騒ぎがした。
何か起こるんじゃないかと。
煙草の火の不始末で火事。
あのメールで迷惑をかけてしまうかも・・・。

とても嫌な感じがしたので僕は確認するために山に行った。
その人がタバコを吸っていた現場。
消したとこは見ていたけれどどうしても気になったのだ。
というより乾燥した時期に山で火を使うのは危険。
もっと注意すればよかったけど年の離れた年長者に対して言えなかった。
真っ暗な山の中に懐中電灯片手で入る。
吸っていた場所を確認したが問題は無かった。
とりあえずこれは大丈夫。

もう1つのメール。
直接電話して聞いてみた。
うん、これもどうもないみたい。
あぁ、すっきり。
これで不安解消だったのだ。





久し振りに話をした友人。
なんか今日は色々話してくれるのでいけるかなと思い、
昔から思っていた疑問をぶつけてみた。
そうしたらどえらい返答が返ってきたのだ。
予想外、いや薄々感じていたことかもしれない。
ただうやむやになっていただけのこと。

当時、僕はその人を傷つけていたのだ。
それもかなり深く。
ほとんどが間接的だけど直接的なことも心当たりがある。
僕は助けるどころか傷つけていたということだ。

追いつめて追いつめられた結果ああいうことになったのか・・・。
納得だ。
今まで数年おきに点として浮上していたものが線で繋がった。
すっきりしたものの反面にものすごく大きな問題が降りかかった。
僕は馬鹿で無知で周りなんて見えていなかったのだとね。


胸騒ぎの理由は山火事でも変なメールでもなかった。
自分への警告と罰だった。
西城秀樹が脳梗塞との闘病から復帰。
そんな感じの内容のインタビューをテレビで見た。

昨年末に2度目の脳梗塞になり1月末に退院。
あらそうなのと思って見てみる。
テレビに出るんだから回復したんだろうなと思ったのさ。


歩様を見ていてなんでリハビリしないんだこの人はと強く思った。
早く歩けないとかそういう問題じゃない。
全てがダメダメじゃないかいと!
復帰したいとかお金とか契約とかいろいろ理由はあるかもしれないけどさ、
あれはダメだ。

杖は大事だよ。
だけどまずその杖使うなら装具を作りなさい。
その程度だったらゲイトソリューションでいける。
もっと単純なものでもいいかもしれない。
絶対に大幅に改善されるからさ。
確かにステージ用の靴は厳しいかもしれないけどあれではいずれ歩行は崩れるよ。
あの人クラスなら靴なんて特注でどうにでもなるさ。

手の緊張もまだ高そう。
恐らく分離はできていそうだからまだいけるさ。
1ヶ月でそこまで来られるならもっと回復できるはず。

何で医者は退院させた。
なぜ周囲は止めなかった。
1ヶ月ちょいで退院とはどういうことなのか。
せめて回復期病棟に移して3ヶ月は集中的にやるべきだろうに。
本人も前回の長い闘病リハビリで勉強したんではないかいな。
あれは無いよ。

もう回復期病棟は無理だろうけど
一般病棟に入って2ヶ月1日4単位+自主練習のリハビリをして欲しい。
そうしたらもっと良くなるって絶対。

なぜわざわざ出てきたのか気持ちは少し分かるけどこれは大間違いだ。
それで脳卒中の啓発活動なんかされたら皆勘違いするよ。
最近、入院していた病院にカルテ請求をしてます。
届いた中でのほんの一部ですが分かりやすいのとご理解のために載っけてみます。



IM0001.jpg






















これは3DCTです。
僕の脳を正面から写しています。
そしてこの色つきの部分がAVM(脳動静脈奇形)です。
左右で差がありすぎて実に分かりやすい。
どう見てもおかしいし危ない感じが伝わるんじゃないでしょか。
当時、手術でこの青色の部分をほとんど全部とりました。
この部分には血流が途絶えてしまった訳です。
そりゃ、麻痺するよねー。
そう思わせてくれる納得の1枚でした。
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