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Dragon World

ま、それなりにやっているつもり

霧島の病院に行ってきました。
装具の微調整をしたり新しい治療についての相談したりと。

新燃岳にかなり近い場所なのでどうなのかなと思っていたけれど、
風向きが違うので灰はそこまで大したことなかったです。
風下の都城あたりは本当に大変だ。
ただ今日の噴火でこの病院のガラスも割れたらしい。

病院に近所の交差点から先が通行禁止になっていて驚いた。
地図を見てみたらざっと見て火口から6キロないくらいのとこに病院はある。
結構なとこにあるんだと心配になる。


新しい治療法を試したいが僕の場合は特殊らしい。
麻痺のタイプがちょっとややこしくて医者が渋っている。
手の小さな筋肉に直接注射をするのだけどかなり難しいそうな。
できれば手のひらをやってほしいのだけど駄目そうだ。
症例があまり無いらしいし相当難しいらしい。
目的外の筋肉の動きを止めてしまう可能性大とのこと。
でも他の筋肉ならできるそうなのでそれだけでもやってほしい。
足なんかやったら変わる気がするんだけどな。


さて、治療&諸々の理由でばらく入院しなさいとのこと。
ここにきてこういう展開になるとは思わなかった。
それは構わないがこの噴火がどう影響するか。
新規の入院受け入れ停止とかなるんじゃなかろうか。
何も無ければいいけど新燃岳が近いし元気だしなんかやな感じだ。
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洗濯するとたまにポケットの中に何かが入ったままってことがある。

紙やティッシュが入ったままだったってのはよくある話だけどさ、

ティッシュが箱ごと入るってことは考えてもいない。









ふたを開けたらもう大惨事・・・。
夜、2分くらいの間に車の前に猫が3回飛び出してきた。



途中で立ち止まりこちらを睨む猫。

なぜ途中で止まる。

なぜ走り抜けない。


3度目はブレーキを踏んだ後にコツンと音がした。
猫の目の前で止まったのに当たってきたのだ。
車を降りて確認したけど猫はいなかった。

猫には悪いが飛び出してきて立ち止まられるとどうにもできない。

猫に言わせれば自動車なんか使うな!!
なんだろうな。
聖☆おにいさんを読んでから手塚治虫のブッダを読むとですね

仏エピソードに対する理解度がグッと上がります。

今までブッダは何度か読んできたけど今回は内容がスッと入ってきて驚いた。






ブラックジャック、陽だまりの樹、アドルフに告ぐ、七色いんこ、どろろ等々。

手塚先生は本当に漫画の神様だ。

近所を歩いていると目にする「ここで遊んではいけません 」という看板。
ちょっと危なそうなところには必ずある。
親の意見としてはごもっともなのだろうけど、
ちょっと危ない場所だからこそ遊ぶのじゃないだろうか。


僕らが小さい頃遊んでいた場所は今ではほとんどこの看板がある。
特に水辺。
川ではよく遊んだけど危ない目にもたくさんあった。
実は死にかけたこともある。

泳げなかった頃、川の深みにはまって溺れた。
泳いでいてブロックのすきまにウナギを見つけて顔を突っ込んだら抜けなくなった。
苔で滑ってしまい堰から落ちた。
真冬に川に落ちた。
等々。

水中で顔がブロックの穴から抜けないときは本当に危なかった。

でもまぁ、こういう経験をするから水の怖さが分かる。
こういうことも必要だと思うんだけどな。


近所の子供たちはどこで遊ぶのだろう。
せっかく川があるのに。
二年位前に十年以上振りに行ったその家は変わってなかった。

土間には少し湿った土。
腰掛けられないくらいの土間と居間の段差。

来たことを玄関で言うと奥の部屋から返事がした。
土間を上がり、その部屋を開けた瞬間に鼻を突くアンモニアのにおい。
ベッドからあまり動けないその人は70代半ば。
身内のおばちゃんだ。
においの原因は室内に置いてある簡易トイレのせい。
僕が生まれた頃から寝たきりだからかなり年季が入ってる。
そりゃにおいだって仕方ない。
象皮病だったかな、詳しくは分からない。
分からないけど足は驚く程太くなり、熱を持っている。
そりゃ、簡単に動けない。
もうこの六畳間の世界での生活を僕の人生と同じくらいの期間つづけているのだ。


「あなたもついにこっち側の人間になったのね」

そう言われた言葉はすぅっと僕の中に入ってきた。

ここまでの状態ではないけれど、この言葉の意味の10分の1くらいは理解できる。
背の高い人、低い人
太っている人、痩せている人
男の人、女の人
病気の人、健康な人
元気な人、元気のない人
若い人、年を取っている人
神を信じる人、信じない人
いろんな国の人
その他諸々


いろんな人がいていろんなこと考えている訳で
そんな人達の考えや気持ちが分かるようにはなりたいけれど
それはできないと思う
それができるというのは幻想
どれくらいかって言うとペガサス幻想くらい幻想だ
できるだけその人の立場や気持ちを考えることはできるけどね

思い込みでこの人の気持ちが分かるというようにはなれるかもしれない
だけども時が流れてその気持ちも揺らぎ変わっていく


風呂上りに身体から立ち上がる湯気をコスモと言っていた頃
コスモじゃないと分かっていたけれどもあれはコスモだったんだ
それでいいんじゃないだろうか
他人の気持ちが分かるというのは湯気をコスモというようなもの
そういういいかげんなものなんじゃないだろうか




















・・・はい、ペガサス幻想(ファンタジー)という言葉使いたかっただけでした