Dragon World

ま、それなりにやっているつもり

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ついにインターネットが我が家にもやって来ました。
驚きの通信速度でYou Tubeが見られません。
別に困らないけど、どうなんだろこれは。


そんなこんなで日々を過ごしてます。
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食欲というものがなんかおかしい。


腹は減るけど食う気がしない。
食わないから体重は落ちる。

これの繰り返しで5キロくらい痩せてしまった。
まさかの退院後の体重減。


ま、考えてみたら病院の食事は残すとうるさいので食べてたんだよな。
夜は暇だったんで間食もそこそこしてたし。
その結果、入院してた時期は太ったしな。

最近は食わない。
腹減っているのに食わない。
矛盾のような気もするけど食にたどり着かない。


太るのは嫌だけれど痩せすぎもあれだ。





退院する少し前に同じ病気の人が入院してきた。
その人は坊主頭になっており、緊急手術したんだなと一目でわかる。
ちなみに準備して手術する場合は一部だけ剃るのが普通。
髪が短いので、大きな手術跡がよく目立っていた。
その人は突然の激しい頭痛で救急車を呼んで助かったという。
よく呼べたなというのが率直な感想だ。
僕もちょっと体験したけれどあの痛さは尋常じゃない。
意識を失う前にそれができてよかったと思う。
それができなければそのまま死ぬのだから。
病院で3回も開頭手術して、2週間か3週間くらい意識がなかったという。
それで視野欠損だけで済んだのは運がいい。
視野欠損もかなり大きな障害だけれども、突然の出血でこの程度で済んだのだから。
事前準備していても僕はこの状態、やっぱり運だね。
視野が欠けるというのもきついのは間違いない。
経験していないから想像しかできない。


その人は大学生。
その人と同じ年の頃から去年まで僕にはそうなる可能性があった。
それから今に至るのだけれども出血しなくてよかったと心底思う。
部屋に一人でいて、救急車も呼べず、死後数日して発見なんてシャレにならん。
年に数回怖くなることがあったのも、今では懐かしい。



どうでもいいような問題であると前提して、どうしても納得できないことがある。


それは「おいどん」という言葉。
西郷隆盛と言えば「おいどんは~でごわす」と連想するやつだ。
なぜ納得できないかというと普通「おいどん」は使わないのだ。
こう言っている人を未だかつて見たことがない。
なのにこの「おいどん」は地位を確立してしまっている。
おそらく大河ドラマなんかの影響なんだろう。
それはそれで仕方ないかもしれないが言っておきたいことがある。





それは「どん」って複数形になるんです。
もう1つ追加で「~さん」ってことで敬称みたいな感じになるんだよね。



「おい」というのはこの言葉だけで、僕・私・俺みたいに自分自身を指す言葉なのです。
僕自身も普通に使っている鹿児島の言葉でこれだけで事足りるのね。
そう考えると「おいどん」=「私たち」になっちゃうのね。
なんか違う。

もう片方の「~さん」って考えても自分自身をそう呼ぶことはおかしい。
出世したとはいえ下級武士であり、人徳の高い西郷さんがそんなことするはずがない。


妥当な考えとして「おいどん」は西郷さんが会合やなんかで薩摩藩として「私たちは」と言ったり。
何かを代表して「おいどん」を使ってたんじゃないかと思うのね。
自分自身のことを言うときは「おい」だったんじゃないのかな。


参考までに自分自身のことを「おい」と言うのに対して、あなたとかお前となる言葉は「わい」なのです。
これも現在普通に使われている言葉であり、「わいどん」となると、「あなたたち」とか「お前たち」になります。
また、敬意や愛着を込めて「~どん」という使い方は今でもあるのです。
だから「西郷どん」と皆が言うのです。




ま、あくまで推論なんですけどね。
でもこれだったらすっきりするんだよね。
幕末から明治にかけては「おいどん」はどういう使われ方してたのか分らないし。
国語的な知識も全くないし。








なんか桜島見たいなぁと最近強く思う。
見た回数も少なく、ゆっくり見たことないんです。
どでかい活火山桜島と錦江湾、背後に広がる大隅半島。
住んでいる出水からは見ることのできない鹿児島のシンボル。
灰が降るのは嫌なのでたまに眺めるくらいがちょうどいい。
孫に会いたいおじいちゃんみたいな感じかな。
毎日一緒はきついと思う。
仕事辞めてから1年が経過してしまった。
当初の予定ではリハビリも含めて入院は2ヶ月もかからないはずだったのにね。
それが、あれよあれよという間にこんなになっちゃって、現実は甘くないなぁと思う。
どうしたもんかねぇ、と思いながらも時間は確実に流れていっているのです。



さて、先日中学校の同級生に会った。
なんとも見た目が悪そうな感じになっているのにちょっとショックを受けてしまう僕。
さらさらの黒髪が似合う日本的な感じの女の子だと思っていた。
それが煙草スッパー吸って、吸い方にも品がない。
煙を正面に吐かないように気を使うのはいいけど口だけしか動かさないから不細工。
気を使うならせめて横向いてくれよ。
おじさんがっかりだよ。


でもこの人はずっとこんな感じだったということらしく、周りは気にもしていない。
ただ僕が知らなかっただけ、勝手な思い込みをていた僕がいけないのだ。
もうちょっと関係がしっかりしたら注意してみよ。
実際、これでかなり損をしているよ。
もったいない。


そんなこともありながら、今月は中学の同級生と縁があるみたいで何人かと連絡ができた。
それはうれしいこと。


あ、そうそう。
ずっと前から気になっていたあの人誰に似てるんだっけって件。
美人でもなく、かわいくもなく、でも決して不細工でもないあの人さ。
あの人はあれだ、市原悦子に似てるんだ。
若い時の市原悦子だ。
若い時の市原悦子は知らないけれどきっとそうだ。
誰だ誰だと、10年以上モヤモヤしていたけどすっきりできた。
今日は秋分の日。
僕の住む集落では棒踊りという郷土芸能があり、それを神社に奉納する。
昔はどこの鹿児島の農村でもあったらしく、目的は五穀豊穣やら士気を高めるものらしい。
家の目の前の公民館でやっているので見てみたら、踊ってるのは中学生から20代前半の若い奴ら。
以前はおっさん達もやってたけど若者に譲ったというか、疲れるからやりたくないといった感じ。
それはそれでいい。

僕も高3までやってたけどたまに本気で打ち込んでくるおっさんがいて、
真剣にやらないと危なかったものだ。
だって棒は木刀なのだから。
軽く受けていたらこっちが弾き飛ばされるのね、本当に。



こういうこともできなくなったなぁと思っていたら見覚えのある顔。
1つ年上のあの兄ちゃんだ。
去年まで踊っていたけど今年は世話役側になってる。
踊りが下手だから仕方ないかなぁ。
でも、年齢的にはリーダーにならなきゃいけないとこなんだけど難しいのかなやっぱり。
兄ちゃんはほんの、ほーんの少しだけ知的な障害がある。
理解力はあるけれど、標準より時間がちょっとかかる。
昔は考えてもいなかったけど、今思えばそうだ。
ちゃんと学校も出てるし働いているのだから立派な社会人だ。
悪い人に騙されないように注意してちょうだい。
田舎だけどやる奴はやっちゃうからね。


彼岸花が好きだ。
今朝、その彼岸花を草刈り機で切っている人がいた。
何で1週間前に草刈りしないの。
それだったら花は咲いたのに。
毎年同じ時期に咲くのはわかっているのに。
その人にとってはただの雑草なのかな。




9時間以上寝ないと朝起きられないのです。
一応ある程度の時間に目は覚めるけど体が動かない。
無理して起きたら終日眠気と倦怠感が付きまとう。
なので、睡眠時間は10時間くらいがベストな今日この頃。

こんなこと言っても信じてもらえないと思う。
自分でも「ただ怠けてるだけだろ」と思っていた。
でもこれは本当なのね。
疑って睡眠時間を変えたりして試してみたけど、どうやらそういうことらしい。
薬のせいなのか、体内のリズムが変わってしまったのか。
社会復帰へのまさかの障害現る。


家族は若干あきれてます。
何より自分自身にあきれる。
世間のたいていの人にはできて今の自分にできないこと。
それは字を書くこと。(誰にでもちゃんと読める字で、サラサラっと書けるという意味で)


右手で字が書けないので左手で書くようにしている。
でも汚いし、遅いし、何よりもイライラする。
最初の頃と比べりゃましになったけど、小学校低学年レベルから抜けられない。
トメ・ハネ・ハライがこんなに難しいとは思わなんだ。
思ったとおりに書けないもどかしさもね。
こうなる前から分かっていたけど、僕は完全なる右利きで左手は脇役。
それがいきなり主役になってしまったのだ。
脇役が主役になるのはなかなか難しい。
あの菅井きんさんだって80歳過ぎて初主演したくらいだし。(無理があるかな・・・。)



そう、以前にテレビでやっていた。
字にクセが出るのはいつくらいかってやつ。
小学4~5年生くらいかららしい。
それまでは大体同じような字を書いているそうな。
字を書く量が一定のラインを超えないと自分の字にたどり着けないとのこと。
それまでは個人差があっても同じような字を書いているそうだ。
誰も気にすることなんてないと思うけど小学生とは重要な時期なのだ。
それを無意識でやって自分の字が書けるようになっているらしい。



さて、愚痴っぽくなっちゃったけどそうではない。
字が書けるってことは当り前ではなく大きな財産ということなのだ。
僕にはまだ使える手がある。
字を見るための目も見える。
字を理解するだけの知能もある。
それができない人もたくさんいるのだ。


「字を書く」それは当り前ではないということ。
健常な時には気付かないけど大変な能力なのだ。

ここ10年くらいの疑問が晴れそうな感じだ。
何がって言うと二酸化炭素は悪なのかってことだ。

なんとなく気候が変わってきているような気がする。
二酸化炭素が増えて気温が上がり、温暖化しているだからという。
だから二酸化炭素は出さないようにしないといけないってことだ。

しばらく情報に縁がなかった。
温暖化の原因は二酸化炭素のせいではないのではないかという意見。
これが増えている。
思っていたとおりになったら世界の潮流は間違っているということになる。
おもしろい。

二酸化炭素の排出量を減らさないといけないらしい。
だったら自動車をなぜ作り続ける。
なぜ優遇してまで売らないといけないの。
燃費の良さは重要だけど古い車が悪いってのもおかしい。
景気が悪くなったら環境なんて言わない。
中国・アメリカに売って消費してもらおう。
気がつくと消費・消費・消費だ。
不思議だね。

二酸化炭素を悪と言ってしまったら自身の存在を否定することになる。
身近なとこだったら人間だよ。
呼吸してるんだからさ。
工場やらも問題だけどガスや電気を使った料理にもなんか言わなきゃ。
排出権取引も胡散臭い。

そらあんまり出さないに越したことはない。
ただ、温暖化の原因じゃないんだろうか。
地球の温度変化のリズムはもっと違う原因があるんじゃなかろうか。
寒冷化や温暖化はこれまで起こってきたことなんだよ。
それは人間の尺度で測れるものなのだろうか。
とりあえず寒冷化にならなくてよかったじゃない。
島が沈むってそらそうさ、地球上のすべては動いている。
海抜1~2mくらいだったら不思議じゃない。


でも、有限資源は大事に使うべきだと思う。
化石燃料・希少金属等々が無くなってしまえば今の生活はできなくなっちゃうからね。
二酸化炭素よりも生活。
これが本音。

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